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zoom RSS 天気予報、カーディガン、ラグラン袖、電信報道など多くのものがクリミア戦争から始まった。

<<   作成日時 : 2014/08/06 09:16   >>

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ヨーロッパと中央アジアの境に黒海があります。この黒海に北から南方へ菱形状につき出しているのがクリミア半島です。ソ連が崩壊してから、ウクライナに所属してきました。しかし少し前に、ウクライナで政変があり、西側よりの政権ができると、ロシアは種々の理屈をつけてクリミア半島に介入し、事実上、自分の息のかかった地域にしようとしました。このクリミア半島には、ロシアは昔からの思いと権益があり、この政変に黙っていられなかったのです。

こんな事情を生んだこの地域の原因一つにクリミア戦争があります。今回はウクライナ情勢にからみ、クリミア戦争とそこから多くのさまざまなものが派生したことについて書いてみました。

ウクライナと人種、言語の分

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★クリミア戦争とウクライナ、ロシアの関係とは

クリミア戦争(Crimean War:1853‐56)は、強大なオスマントルコが弱ってきた間隙を狙うロシアと、ロシアの進出を嫌うイギリスやフランス、サルデーニャ(イタリア)との戦争でした。発端となる原因はトルコ領エルサレムの聖地管理権問題で、カソリック(フランス)とギリシア正教(ロシア)の宗教問題とも言えます。クリミア半島と黒海が主戦場でしたが,戦火はドナウ川流域,バルト海,カフカス地方まで広がりました。クリミア半島の重要軍港であるセヴァストポリの戦いでロシア軍が陥落し、ロシアの敗北をもって決着しました。クリミア半島は18世紀後半の時点ではロシア帝国領となっており、クリミア戦争の発生時も、その終結後も、ロシア帝国領でした。その後ソビエト連邦の成立後はソ連領となりました。

ウクライナというのはソ連の中の一地域でした。またソ連建国当初、クリミア半島はウクライナという地域に含まれていませんでした。 しかしソ連にとって、ウクライナ地域の権力者の支持を得る必要がある時があり、ソ連のトップは、クリミア半島をウクライナに1954年、ロシアからウクライナに移譲するよう決定しました。その後、冷戦終結後、1991年にソ連は崩壊し、同時にクリミア半島を持ったままウクライナはソ連から独立しました。 クリミア半島とそこに暮らすロシア系人たちは、ロシアから切り離され、ウクライナに留まったまま今に至りました。こんな複雑な過去があり、ロシアはウクライナに西側よりの政権ができ、ロシア系住人が多いクリミア半島、ウクライナ東部が、そのままの形で西側よりの地域になるのを座視できなかったのです。

さて、ここでは政治情勢を詳しく語るつもりはありません。複雑な背景を持つクリミア戦争は、またさまざまなものが始まったきっかけにもなりました。ではそのうち代表的なものを紹介します。

クリミア戦争とロシア、ウクライナ、黒海周辺

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★天気予報は嵐によるフランス軍艦の沈没から始まった。

19世紀に多くの国が参加したクリミア戦争中、イギリスとフランスの連合艦隊は、黒海で暴風と寒波の影響で大きな被害を受けました。特に1854年に、暴風雨で最新鋭軍艦など41隻を沈没させてしまったフランスは深刻で、フランス政府は暴風をなんとか事前に予測できないかと調査を開始しました。

これを受けて、パリ天文台のルベリエ台長が、ヨーロッパ各地の観測所からデータを取り寄せ、解析調査をした結果、天気図というものを作成し、分析予測することで、暴風や雨、温度変化などの予測が可能だと分かりました。この調査結果を当時の皇帝ナポレオン3世に進言することにより、気象観測は大きく進歩し、気象局が創設され、1863年以降にはヨーロッパの天気図が毎日発行されたのです。こうして天気予報が始まりました。

日本では、明治16年3月1日に東京気象台で初めて天気図が作成され、印刷して配布されるようになりました。さらに翌17年(1884年)6月1日には毎日3回、全国の天気予報が発表されるようになりました。当時の天気予報は各地域の細かな予報ではなく、日本全国を一つにまとめた天気予報もので、今の詳細な天気予報に比べると、とても大雑把なものでした。その後、第二次大戦中は一時中断しましたが、今ではより詳細な天気図や予測が可能になり、天気予報は人々にとって欠かせないものになりました。

明治時代の日本の天気図

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★カーディガンは負傷兵のために考え出された。

クリミア戦争では思わぬものも考え出されました。クリミア半島はロシアの南で、冬は寒さが厳しいところです。負傷兵にとっては、とてもそれをたえるのが大変でした。そこで負傷兵にとって、もっと楽な服の着脱はできないものかと考え、それまではかぶって着るのが常識だったセーターを、前開き可能な形にしたのは、戦争に参加していたイギリスのカーディガン伯爵でした。厳しい寒さの中で、負傷兵士に楽にセーターをかぶらせるのは難しかったのです。前開きにして、ボタンでとめられるようにしたのが、今あるカーディガン(cardigan)のはじまりと言われています。

カーディガンを考案したカーディガン伯爵

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カーディガンは前開きで便利

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★ラグラン袖で兵士は動きやすく、着脱が楽になった。

またラグラン袖(Raglan sleeve)というものがありますが、これもクリミア戦争で考案されました。ラグランスリーブとは、衿ぐりから脇下にかけての斜めの切り替え、線をいれ、肩と一続きになった袖部分を身頃につけた袖のことです。クリミア戦争で活躍した英国の総司令官のラグラン将軍(男爵)が考案したことから、この名前になりました。この人はナポレオンとのワーテルローの戦い(1815)で負傷し、右腕を失ってしまいました。彼は自分が片腕がないことから、クリミア戦争のときに、負傷した兵士の腕でも脱ぎ着がしやすいようにと考案したと言われます。また兵士にとってとって、この袖は肩のあたりが動きやすくなりました。

ラグラン男爵はラグラン袖を考案した。


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今ではこんなラグラン袖のシャツもあります。

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ラグラン袖の他の良いところは、防水性のコートにとって、袖付けの縫い目から雨が浸み込まない、ということであり、兵士たちに支持されたということです。現在はコート、ジャンパーなどにも広く用いられ、胴体部分と袖部分の色が異なるものなど多様化しています。

余談ですが、ラグラン袖を応用したものにトレンチコートtrench coat があります。これはイギリスのバーバリーが第一次世界大戦中に武器を身につけやすいようにと考えたものです。トレンチ(trench) とは戦場における塹壕のことで、第一次世界大戦中に、西部戦線で膠着状態になった長期の塹壕戦 trench warfare に対応するため、イギリス軍が兵士に支給した悪天候用の防水レインコートが、今あるトレンチコートの始まりでした。

オードリー・ヘプバーンも愛用していたバーバリーのトレンチコート

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★その他、クリミア戦争から始まったもの:電信と戦争報道、ナイチンゲールなど

●電信と海底ケーブルによる戦争報道の始まり

この戦争前には電信が発明されていました。それを使って、イギリスのタイムス紙の記者は戦争現場から生々しく報道しました。戦争2年前には英仏海峡に海底ケーブルが施設され、戦争現場からの記者による記事は、リアルタイムに報道されるようになりました。これは戦争を報道する従軍記者の始まりでもありました。

●フローレンス・ナイチンゲール

上記の電信と戦争報道は、戦っている国元の人々にも影響を与えました。ナイチンゲール(Florence Nightingale)は戦争報道により、戦争現場に行って看護をすることを決心しました。彼女は近代的な看護婦の草分け的存在といわれます。彼女はクリミア戦争の野戦病院で献身的な看護をし、それが電信によってリアルタイムにイギリス本土の新聞で広く紹介され、賞賛されました。敵のロシア兵も看護し、「クリミアの天使」として尊敬されました。ここから、その後看護婦は、「白衣の天使」とも呼ばれるようになりました。

彼女の本当の功績は、戦争から帰ってきてからでした。病院の衛生状態を改善したり、近代看護学を確立し、1880 年に看護専門学校(ナイチンゲールスクール)を設立しました。その活動はスイス人、アンリ・デュナンに受け継がれ、「敵味方の区別なく負傷者を救う」という国際赤十字が設立されました。

ナイチンゲールは近代看護の確立に努めました。

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●アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)

スウェーデンのノーベルの父の機雷会社は、ロシアから機雷を受注し供給しましたが、機雷代金は、クリミア戦争で敗戦国となったロシアから支払いがなく、破産してしまいます。しかし、この戦争でニトログリセリンの爆発力の知識を得て、それを元にダイナマイトのヒントを得ました。これにより作ったダイナマイトにより、巨万の富を作り、死後ノーベル賞の基金の元となりました。

アルフレッド・ノーベルはクリミア戦争がきっかけでダイナマイトを作った

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●ハインリヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)

ドイツ人のシュリーマンはその商才で、ロシアに武器・兵站物資を売り、莫大な富を得ました。その資金で中国(清)、幕末の日本の旅をしましたが、その後トルコのトロイア遺跡を発掘したことで有名になりました。

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クリミア半島とウクライナの情勢は世界中の関心を集めています。そこでちょっとクリミア関係のことを調べて掲載しました。戦争って本当はない方が良いのですが、困って必死になる場面が多く、副産物として意外なものが出来たり、始まったりします。私もカーディガン、ラグラン袖の愛用派です。ちょっと羽織ったり、着脱する時には便利ですね。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
Jackさん、すごく面白かったです。まずクリミア戦争自体あまりよくわかっていなかったですが、地図と解説で大体わかりました。それに戦争というとネガティブなことばかり考えがちですが。戦争が優位に運ぶように、いろんなものが考案されたんですね。天気図,カーディガン、ラグラン袖、ダイナマイト等、勉強になりました。トロイ遺跡発掘のシュリーマンは、トルコに行ったとき覚えました。今一番関心があるクリミア戦争から得たこれらのこと。発想が素晴らしかったです。それに楽しく覚えられそうです!
Anne
2014/08/06 21:05
Anneさん
戦争は良くないものですが、歴史的に見て、それをきっかけに、何かが出来たり、始まったり、見つかったりします。ナポレオンが遠征するのに長期保存が効く缶詰を考え出したり、悪い例だと、アメリカが原爆を作り出し、ドイツがミサイルを考案しました。

ラグラン袖など、平時でも考えつきそうですが、人間、困り抜かないと、このようなものを創出できないのですね。カーディガンはとても便利ですが、ここしばらくの間、男性用はいいものが少なくなってきていました。しかしまた若い人中心に復活しつつあります。トロイの遺跡を発掘するには莫大な費用がかかったはずで、戦争による莫大な富が良い方に使われるとこんなにいいことも起こる例ですね。
Jack
2014/08/07 16:53

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