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zoom RSS 芸術家の裏話:ロダンの「考える人」は「見ている人」だった / バッハの音楽には暗号が隠されていた

<<   作成日時 : 2013/01/27 17:13   >>

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芸術家にはちょっと変わり者が多いようです。芸術そのものを見ているのもいいですが、その背景にある裏話といったものを知っているともっと面白くなります。今回は芸術家の裏話です。

★ロダンの彫刻「考える人」は何かを「見ている人」だった。

フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの彫刻と言ったら、すぐ「考える人」1880年作が思い浮かびます。おかしな格好でじっと考えているようなので、「考える人」と呼ばれています。しかしこの彫刻の人は考えているのではなく、実は見ているのです。もともとこの作品のタイトルはロダンがつけたものではなく、鋳造家のリュディエという人が後でつけたものです。したがってロダンは必ずしも「考える人」と思っていなかったのです。ロダン自身はこの彫刻には「詩想を練るダンテ」と当初呼んでいましたが、彫刻を発表するときは「詩人」と名づけています。この彫刻の男性像はダンテと言う説と、ロダン自身であると言う説があります。

この彫刻の男性の姿勢がまた変わっています。腰かけて、膝に肘を付き、うつむいて拳を顎に当てて思索する姿です。またこの「考える人」は右ひじを左膝に付けているのです。この姿勢は体がねじれてかなり無理のある体勢です。さらに、この姿勢で下の方を見ていているように見えます。実はこの像は、もともと「地獄の門」という高さ5.4m、幅3.9m、重さ7トンもの作品の一部です。ダンテが書いた「神曲」をモチーフにしており、この門の上にも「考える人」がいます。この「考える人」は「地獄の門」から独立した一つの作品と言えます。「地獄の門」には、地獄へ落とされた罪人たちがもがき苦しむさまが立体的に表現されています。この門はいったん通過したら二度と戻れない門と言われます。そして「考える人」は門の上に座って、眼の下に広がる地獄を覗き込んでいるのです。したがって直接的には「考える人」ではなく「見ている人」とも言えます。

ロダンはこの制作に当たり、「ダビデ像」の作者であるミケランジェロの彫刻を参考にしたとのことです。みなさんご存知のように、ミケランジェロの作品では、彫刻でも絵画でも、男性、女性はいずれも素晴らしい筋肉美を表現しています。ひょっとしたら、ロダンもこの考える人に、体をにねじらせることによって肉体美を強調したのかもしれません。ではもがき苦しんでいる人々を見て、この人は何を考えているのでしょうか。それは、その人以外にはわかりません。あるいはこれを見る人によって考えていることを想像させているのかもしれません。

ロダンの彫刻「考える人」

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上述の「地獄の門」は、東京の上野にある国立西洋美術館に展示されています。この像に向かって、「あなたは何を考えているのですか」と問いただしたくなります。

「地獄の門」

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★バッハの音楽には隠された暗号があった。

ドイツの作曲家の「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」(Johann Sebastian Bachは音楽を超えた暗号や秘密の象徴的なものを指し示そうとしていました。

例えば、彼は「14」の数字が好きだったが、それは彼の名のBach(バッハ)は、アルファベットでの順の数で換算すると、B(2)+A(1)+C(3)+H((8)=14となるので、これを彼の象徴的な数字とし、お遊び的なもの、もしくはパズルとして彼の作品の中に仕込まれています。彼がドイツの音楽学院に入る時も、会員番号が14番になるまで待ってわざわざ入会しました。

「バッハ」のいた17世紀は、ルターの宗教改革とともに、宗教的なものを語る手段としての音楽が、大きな役割を持つようになっていました。そして、そこでは数字には比喩的な意味が折り込められていたのです。「バッハ」は作曲の中で、特別な数字を音符に置き換えて、暗号のようにそれらを組み入れることがありました。3を神の数、4を人の数、7を神の聖性、10は律法、12は神の民や教会、14はバッハの名前(BACH=2+1+3+8=14)でした。そして楽曲の構成が神の世界(3)のパートから人間世界(4)のパートへ移るときには、3拍子から4拍子に変化させています。

これらはキリスト教に関係あり、その数字の説明をしておきましょう。

<3>- 神の数: 天と地と精霊の三位一体)

<4>- 人の数:地球- 4方位、四季、4元素、4気質、四つの感情:喜怒哀楽等、人と自然は4つに分けられることから

<7>- 神の聖性の数: 天地創造に費やされた日数 7 =安息日、神(3)と人(4)の数を足したもの

<10>- 律法の数 -: 十戒

<12>- 神、民、教会の数: ユダを除いた12使徒、教会、信徒 聖なる数

<13>- 災いの数: 最後の晩餐にはユダを含め13人いた

<14>- バッハ自身の数: BACHをアルファベット順に足していった数が14。14の音符、14の楽器で表現される音楽


かれのカノン変奏曲「高き天より」には、最終小節にB-A-C-Hという音階名が織り込まれていますが、これは曲に自分であるBACHのサインをしているのです。また「フーガの技法」の曲の中にも、ある小節でBACHを示しています。この「フーガの技法」曲の各パートは、聖書の詩篇の各章の構成と対応していると言われます。しかしこの曲は途中であり、未完成のままでバッハは亡くなりました。

音楽に数など暗号を入れた作曲家バッハ

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このような謎の多いバッハの曲について、バッハの作品には、数アルファベット暗号が織り込まれていたのではないかとの説が、1947年にフリードリヒ・スメントと言う人によって提唱され、その後種々の説が出ています。また次のような本も出ています。

書名 バッハの暗号 数と創造の秘密
著者 ルース・タトロー
訳者 森 夏樹
出版 青土社 2011年

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上記の本の内容はこのようなものです(目次のみ)。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%D0%A5%C3%A5%CF%A4%CE%B0%C5%B9%E6%A1%A7%CC%DC%BC%A1

なおバッハ等の音楽関係の暗号について詳しいことは下記のページをご覧ください。

http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2006/07/post_edba.html

音楽にも暗号のようなものが織り込まれているなんて、よほど注意しないとわからないですね。

★ベートーベンは何故ボサボサ頭か?

ベートーベン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン: Ludwig van Beethoven)を思い浮かべると、あのボサボサ頭がすぐ出てきます。しかし上述のバッハや、モーツアルト、ハイドンなどは髪をゆったりと優雅にカールさせた頭になっています。ではどうしてベートーベンだけがボサボサ頭なのでしょうか?

バッハ、モーツアルトが活躍した時代、ヨーロッパの上流階級の人々はカツラを付けていました。この始まりはフランスのルイ14世(太陽王)がし始めためで、この時からカツラを付けるようになったのです。宮廷ではこれが正式な姿とされました。当時は上流階級の王族、貴族のお抱え音楽家が多く、宮廷にも出入りするので、音楽家もカツラを付けるようにしていました。

フランスのルイ14世

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王族、貴族のお抱え音楽家は、彼らからの注文によって、作曲するという方法をとっていました。しかし、ベートーベン「お抱え音楽家」という方式をとらなかった。彼は自分の好きなように曲を作り、それを貴族達が良ければ買うという方式を取りました。これは正に、売り手と買い手が対等の関係で、音楽を芸術として楽しむという始まりだったのです。

そうしたことから、彼のスタイルは宮廷の流行に媚びることもなく、自由な服装、髪の形でよかったのです。ベートーベンは身長が約167cmであり、西洋人男性としては小さなほうでした。肌の色は浅黒で筋肉質だったため、とてもがっちりしていて体格がよかったそうです。ベートーベンは年を取るにしたがって、服装に無頓着でしたが、部屋も同様に荒れ放題となったいました。しかしお風呂や洗濯にはなぜか気を遣い、手を何度も洗うほどの潔癖症だったらしい。このような無頓着とあの角張ったような顔つきとだったので、あんがい、優雅なカツラを付けるよりより、「ボサボサ頭」が似合っていたのかもしれません。

ベートーベンは腹痛と下痢に悩まされ、癇癪とともに憂鬱を抱えていました。これらの症状と難聴は、鉛中毒の症状によるものと言われています。当時、砂糖が高価だったため、化学的に合成した甘味料を好んで食べていました。この甘味料は、葡萄の果汁を鉛製の鍋で煮て、甘みの強いシロップを作っていましたが、その過程で鉛が混入しており、それによりベートベンには長年の間癇癪、難聴といった症状が出てきたものと言われますが、はっきりしたことは分かっていません。

ベートーベンのボサボサ頭

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★フランスの画家ロートレックはグルメで酒好きで料理人だった。

フランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック)(Henri de Toulouse-Lautrec)は「ムーラン・ルージュ」などの作品で、ポスター画を芸術の域にまで高めた芸術家でした。グラフィックデザインの先駆けともなり、現在の多くのデザイナー達に影響を与えているのがロートレックです。そんな彼は大変なグルメ(食道楽)でもあり、お酒が好きだった。それだけでなく、彼は友人を招いて自分で新しい創作料理などを作り、珍しいカクテルを作って楽しんでいました。友人と共に狩りや釣りを楽しみ、それにより食材の調達もしていました。彼はとにかく素材にこだわっていたらしい。ロートレックにとっては、絵画も料理も同じことだったようです。それらを通して自分自身を表現し、独創的な世界を作り出していました。

ロートレック作品:ムーラン・ルージュのラ・グーリュ

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グルメのロートレックの死後、幼馴染の親友で画商だったモーリス・ジョワイヤンがレシピ本「モモの料理法」“La Cuisine de Monsieur Momo”を1930年に出版しました。モモ(Momo)はロートレックのニックネームです。この本はロートレックが生前に語った料理のことや、郷土料理、野菜料理、肉料理、スープやソースの作り方など200点が書かれており、ジョワイヤンが友情のあかしとして書き残すようにしたものです。ロートレック「料理とは人間の文化であり、その土地の人々、土地が与えてくれる素材と深くかかわり合っている」と言っています。モーリス・ジョワイヤンは後にロートレック美術館を建設しました。

友人モーリス-ジョワイアンが1930年に出版の「モモ氏の料理」の改訂レシピ本「ロートレックの料理法」

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さて、彼はどんなふうにして画家になったのでしょうか。フランス南西部の中心都市で、彼の家名にもなっているツールーズにほど近い、小さな町アルビロートレックは1864年11月24日に誕生しました。名門貴族の長男であった彼は、貴族の邸宅とアルビ郊外のボスク城で乗馬や狩りをよくしていて、家族の愛と共に、のびのびと育ちましたが、14歳のときに居間で誤って倒れ、左の足を骨折してしまいました。さらに翌年、リハビリ中に右の足をも骨折しました。これが原因で足の成長が止まり、身体的に不自由な身となってしまいました。

しかし彼はくじけませんでした。幼い頃から絵が得意だった彼は、当時、貴族は画家にはならなかった風習を破り、18歳でパリに出ました。その後画家として苦労を重ね、27歳のときに描いたポスター「ムーラン・ルージュ、 ラ・グーリュ」で一躍世の脚光を浴びたのです。こうして画家として成功した後は、時々、故郷のボスク城に帰ったそうです。現在、ボスク城ロートレックの母方の一族が暮らしていて、見学が可能です。その後彼はグルメにもこだわるようになって来ました。ロートレックは、パリのモンマルトルを活動の拠点とし、街のキャバレーやダンスホールなどを見て、華やかな舞台上の人々を描きました。そして、夜の社交とお酒を愛し、友人を招いて自ら手料理を振舞い、招待カードにはメニューや動物のイラストを描きました。
 

ロートレックの故郷「アルビ」

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ロートレックが親しんだピンク色が印象的なボスク城

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このようなグルメと酒の生活は、彼の命を縮めることになりました。こった料理はバターなどこってりしたものが多く、さらにアルコール中毒になったため、お酒も飲めなくなりました。しかし、それでもこっそりと飲んでいたそうです。36才で体がマヒしてきて、とうとう37才という短い人生で終わったのです。

日本でもちょっと前ですが、三菱一号館美術館で「トゥールーズ=ロートレック展」が2011年秋に開催されました。三菱一号館美術館に隣接したレストラン「ミクニ マルノウチ」(シェフは三國清三氏)で「「美食家ロートレックへのオマージュ」と題して、展覧会と連動したメニューを出していました。 このメニューは、ロートレックの残したレシピの中から、彼が好んだ食材と調理法を再現したそうです。

ロートレック展にちなんだレストランの1000円のランチ

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芸術家も人間である以上、いろいろな癖やちょっと変わったところを持っていますね。大体、世の中を見ていると、高名な人は何かしら変わったところがあるようです。その点、平凡な筆者などは、変わったことをしようとしても、単なる変な人くらいにしか思われません。やはり何か人より抜きん出たものがあってこそ、変なことも出来るのでしょう。ベートーベンですら、ある時あのボサボサ頭と無頓着な服装でウイーンの街を歩いていたら、浮浪者と間違えられ逮捕されたことがあったそうです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
沢山の話題楽しく読ませていただきました。ロダン、パリに行った時ロダン美術館を訪れたことがあります。彼の考える人は後からタイトルがつけられたとは面白いですね、それにしてタイトルのおかげで考えているように見えてしまいます。なぜあのような不自然な姿勢をしているのか疑問に思ったことがあります。地獄門と関係があったとは?その美術館で地獄門、ロダンの考える人を見ましたが、オルセー美術館にも地獄門ありました、懐かしく思い出しました。ベートーベンのぼさぼさ髪の由来、身近に感じる(アルコムの日記に取り上げた事があるので)ロートレックの料理好き、本当に面白かったです。
Anne
2013/01/28 16:40
Anneさん
ロダンの考える人は、確かにそう言われてみると下をのぞき込んでいるようです。地獄の門と対比すればこれがわかります。彫刻はコピーを作れるようで、いくつかのところに同じ彫刻があり、本物かどうか見極めるのがむつかしいところがあります。

ロートレックの料理好き、貴族だったのによくこまめに自身でやっていたのですね。彼の性格でしょうか?

音楽には、ほかの人にも暗号的、象徴的に示唆していることがあるようです。このようなことは、絵にも、小説、俳句にもあるようで、調べてみると面白いことが出てきます。
Jack
2013/01/28 18:54

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