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zoom RSS 「きよしこの夜」(Silent Night)の歌は教会のオルガンが鼠にかじられたことから始まった

<<   作成日時 : 2012/12/03 19:40   >>

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クリスマスが近づいて来ると、街のいたるところから、いわゆるクリスマス音楽が聞こえてきます。その中でずっと昔から、静かに歌われてきた曲が「きよしこの夜」(Silent Night)です。私は幼年時代、キリスト関係の幼稚園に行っていたせいか、クリスマスの音楽はよく聞いていました。それが今でも耳に残って、ある意味ノスタルジックに聞こえます。この「きよしこの夜」の歌、元々はドイツ語の詩"Stille Nacht"であり、日本で歌われている、「きよしこの夜、星は光り・・・・」とは少し内容が違います。またこの曲が出来た面白いいきさつがあります。今では中学2年生用の英語の教科書「New Horizon」にも、この曲の出来た由来が載っています。ですから意外と若い人たちは知っているかもしれません。この曲は世界中の300を超える言語に訳され、歌われて、世界で最も有名なクリスマス・キャロルです。

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少し前まで、私はこの曲が出来たいきさつを知らなかったので、ここで「きよしこの夜」の出来たいきさつと、その曲について皆さんにも楽しんでいただくことにしました。

●「きよしこの夜」(Silent Night)の歌は、ある教会のオルガンが鼠にかじられたことから始まった。

この歌が誕生したのはオーストリアで、作詞はヨゼフ・モールで作曲はフランツ・グルーバーです。それは1818年12月23日、クリスマスイブの前の夜のオーストリアのザルツブルクの北約15kmにある、オーベルンドルフ(Oberndorf)という村の小さな聖ニコラウス教会の出来事でした。小さな鼠が教会のパイプ・オルガンの中に忍び込み、弦をかじっていました。

そして翌日、クリスマスイブの日になりました。朝、この教会の若いオルガン奏者フランツ・グルーバーがその夜のミサに備えて、オルガンで聖歌の練習を始めようとしました。しかしパイプ・オルガンは、空気のなるスーという音がするだけで、音楽を奏でません。クルーガーが変に思い、オルガンの中を調べてみると、皮で出来たふいごが破られたような状態で、どうしようもありません。どうも昨夜、鼠にかじられたようです。今更至急に修理と言っても、クルスマスイブ当日に、とても遠くから修理人を呼び寄せるのは不可能です。これではクリスマスイブに歌う聖歌の伴奏ができないと、クルーガーはとても落胆し、途方に暮れました。当時、ナポレオン戦争による混乱と疲弊で村を支えていた塩運搬業が打撃を受けていました。さらにその年は冷夏による不作が続いて、この村は深刻な状況に追い込まれていたのです。そんな折だからこそ、グルーバーはクリスマスイブのミサくらいはなんとか無事にやりたかったのです。

そこへグルーバーの友人で、助任司祭のヨゼフ・モールがやってきて、今夜のミサはオルガンなしでやらねばならなくなったことが彼に判りました。考えたモールは、2年前からしたためていた「キリスト誕生の詞」を、教会オルガニストのグルーバーに渡し、この詞になんとか、ギターで歌の伴奏ができるように至急作曲したらどうかと提案しました。モールは内気な性格で、詩は作ったが、発表できないままでした。これを聞いたグルーバーは、教会堂内でギターを弾くことは、信徒は嫌っており、神父にも怒られると反論しました。そのころは、教会で演奏する楽器は、オルガンのみしか認められていなかったのです。

教会とパイプ・オルガン

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しかし、ヨゼフの詩を読んでみたら、グルーバーは、とても繊細で美しい詩と判り、気が変わり、やる気になって、数時間で曲を作りあげました。出来上がったのはミサが始まる数時間前でした。そして聖歌隊を集めて練習したのです。その後、クリスマス・イブのミサになり、付近の村人たちが教会にやってきました。ミサが始まっても、オルガンの演奏が全くないことに、村人はざわめき始めました。礼拝が始まって、神父のお話が終わってから、ヨゼフとグルーバーが出てきて、今までの事情を正直に説明し、その代わりに、これからミサにふさわしい新しい曲を披露しますと言ってから、「きよしこの夜」(Stille Nacht)を演奏しました。これが聖歌「きよしこの夜」(Stille Nacht)の始まりでした。

"Stille Nacht"(きよしこの夜)はギターで初めて演奏された。記念教会堂には、それを題材にしたステンドグラスがはめ込まれている。

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さて、この新しい聖歌の曲をギターで聴いた人々の反応はどうかというと、反応は様々でした。良かったと言う人と、ギターで演奏するなんで神への冒涜という人までいろいろでした。でもなんとかやった二人は満足でした。しかしその翌日、二人ともそこの神父におしかりを受けて、そのニコラウス教会では、この曲は二度と演奏されることはありませんでした。また、新年すぐに、助祭ヨゼフは、別の赴任地に転任になってしまったのです。そしてこの"Stille Nacht"「きよしこの夜」の歌も忘れられた存在になりつつありました。

●「きよしこの夜」の歌はどうして世界中に広まったのでしょうか?

このようにして作られた「きよしこの夜」もお蔵入りのような状態でした。それがどうして今日のように、世界中へと広がっていったのでしょうか?これには長い年月と不思議とも言える運命の糸で、この歌が世に出ていったのです。

さて、あのパイプオルガンは故障したままでした。そして翌年の春1819年、深い雪が解けて、頼んでいたパイプオルガンの修理屋がチロル地方から、この村にやって来ました。修理屋はオーストリア中を回っていて、仕事柄各地の出来事など情報を知っていました。彼は修理しながら、「ネズミにやられたんですね。いつのことですか?」などと話しているうちに、グルーバーは、クリスマス・イブにこんなおもしろい出来事があった、と話しました。すると修理屋はめづらしい話で興味を持ち、できたらその楽譜を見せてくれと頼みました。ヨゼフも、もはや転任してここにはいないし、ここではこの曲は演奏禁止だから、グルーバーは「そんなに興味があるのならこの楽譜はあげるよ」といって、コピーも取らず、一枚しかない楽譜をあげてしまいました。修理屋はこうして「きよしこの夜」楽譜をもってチロル地方へと帰りました。

その3年後の1822年、ロシアのアレクサンドル大帝が、オーストリアのお城に招待されていました。その歓迎の夜、地元の人達が余興を見せましたが、その中に合唱グループで「ライナー一家」がいました。丁度、映画、「サウンドオブミュージック」の「トラップ一家」の合唱団の先駆にあたるようなグループでした。そして「ライナー一家」の演奏のなかに、あの"Stille Nacht"「きよしこの夜」があったのです。チロルのどこかで、オルガンの修理屋から、楽譜をもらったのだと思われます。こうして公の場で"Stille Nacht"「きよしこの夜」は歌われることになりました。チロル地方では修理屋が持ち込んだ楽譜から、いつか知らず知らず、皆に民謡のようにこの歌が歌われ始めていたのです。

1831年には、「きよしこの夜」は「シュトラッサー兄弟」が歌い出しました。このグループは「シュトラッサー・カルテット」という混成合唱団(男の子2人、女の子2人)でこの歌を歌って評判になり、次第にこの歌はオーストリア中に広まっていたのです。それでも、「作者不詳」の「チロル民謡」という題名でした。

この「シュトラッサー・カルテット」が歌っていたあるミサに、たまたま出席していたドイツの音楽出版者がこの曲を気に入り、ドイツで楽譜を1840年に出版しました。しかしその曲名は「シュトラッサー・カルテットによる4つのチロル民謡」でした。こうしてこの曲自体は広まってきたのですが、作者不明、チロル民謡のままでした。

1867年、この曲ができてから49年後、やっとオーストリアの印刷業者が、楽譜に「作詞ヨゼフ・モール、作曲フランツ・グルーバー」と明記したものを出版しました。では、どうやって、この曲の作者が発見されたのでしょうか。

作曲者フランツ・グルーバーによる"Stille Nacht"(きよしこの夜)の楽譜

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そのいきさつがまた面白い。1854年の暮、ザルツブルクの聖ペトルス・ベネディクト派修道院の合唱長は、ベルリンの王室オーケストラの楽長から、今年のクリスマスイブに演奏する予定だから「きよしこの夜」の楽譜の写しをほしいと頼まれました。この修道院は、少年合唱隊や聖歌隊歌手を養成する音楽学校として有名で、関連の音楽関係の資料が国内で最もそろっていました。その当時、この曲は有名なハイドンの弟の作曲ではないかと思われていました。それで合唱長は、広い資料室から楽譜を探すことを、ある人に命じました。この人がなんと作曲者のフランツ・グルーバーの末の息子さんだったのです。しかし息子さんは「ここには探してもないですよ。作ったのは私の父だから。」と合唱長に伝えました。そして息子さんからこの話を聞いたグルーバーが、オーケストラ用の楽譜をベルリンの楽長に送りました。この時、作詞者のヨゼフ・モールは、自分が作った歌が大流行していることを知らずに、既に1848年に死去していました。「きよしこの夜」は、その当時すでにドイツの教科書にも採用され、カトリック教会とプロテスタント教会でも、一般的に歌われるようになっていて、教会の布教活動によってこの曲はさらに広まっていったのです。アメリカにはドイツ系移民と共に広まっていったと言われますが、特にオーストリアから移住したサウンドオブミュージックで有名な「トラップ一家合唱団」が、アメリカ各地を公演して回った際に、より広めたといわれています。


サウンド・オブ・ミュージックで有名な「トラップ一家合唱団」はアメリカに渡って各地で"Silent Night"「きよしこの夜」などを歌った。

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このようにして、この曲の作者が世に知られるようになりました。こうして数奇な運命と偶然の中で、作者もわかった「きよしこの夜」が、その見事なまでの簡潔さと美しいさとが相まって、世界中に広がっていきました。

●「きよしこの夜」あれこれ話

★「きよしこの夜」誕生の場所はどうなっているのだろう。

さて、オーベルンドルフ(Oberndorf)の小さな教会は、今はどうなっているんでしょうか?「きよしこの夜」が最初に歌われた当時の礼拝堂は、洪水でなくなり今はなく、1937年に代わって、同じ場所に新たに建てられた記念礼拝堂があります。そして、その前では毎年クリスマスイブに礼拝が行われ、世界各地から数千人もの旅行者が参列するそうです。日本人も多いようです。イブの夜だけあの創作当時に演奏したギターが、「きよしこの夜記念館」から持ち込まれ、あの時と同じようなギター演奏と聖歌隊でミサが行われるそうです。

「きよしこの夜」が生まれたオーベルンドルフの町

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「きよしこの夜」が生まれた教会に建つ記念礼拝堂

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オーベルンドルフの「きよしこの夜」が生まれた教会へクリスマスイブに旅するツアーもある。

http://www.alan1.net/jp/europe/austria/sg/2443/ag/12493/

★作者の胸像が現地に作られました。

1912年、この名曲を記念して、作詞者モールと作曲者グルーバーの胸像を作る事になりました。しかし1948年に亡くなったモールの肖像が全く残っておらず、困った関係者はなんと彼の墓を探し当て、彼の頭蓋骨から胸像を作り、聖ニコラ教会に安置しました。またオーベンドルフに、生前に彼が使用していた司祭館が見つかり、それを「モール記念館」としました。グルーバーモールに比べると、ずっと幸せな生涯で、仕事でも名声を得ました。彼の子孫は教師時代にいたハルラインという場所に「きよしこの夜記念館」を建て、彼の遺品である、楽譜、ノート、そしてあのギターもここに保存されています。

作詞者モールと作曲者グルーバーの胸像

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「きよしこの夜」が生まれたオーベルンドルフ(Oberndorf)と教会の紹介。

http://4travel.jp/overseas/area/europe/austria/salzburg/travelogue/10367567/
 

★原曲は6節だったが、英語、日本語は3番までしかない歌になった。

さて皆さんは、この曲のドイツ語原曲は6節からなり、しかも英文、和文の歌詞ともそのうちの第1,6,2節だけで順番も違うのをご存知ですか?そして英語、日本語とも、3番までが公式聖歌とされています。英語の歌詞はドイツ語原詩の第1,6,2節によく対応していますが、日本語歌詞はちょっと内容が違い、より創作的です。

この曲を、日本語に翻訳し和文歌詞としたのは、由木康(ゆうき・こう)です。由木康(1896〜1985)は、鳥取県境港出身の作曲家で、牧師でした。由木康は最初6番まで忠実に訳したましたが、その当時は戦時中だったため、「王様」「イエス」「救い主」という言葉が削除されてしまいました。当時の軍国主義の日本では天皇を賛美しており、また日本古来の神以外の讃美は、日本語の歌詞としてはできなかったのです。それで1、6、2節だけが順番を変えて採用されました。英語の歌詞も1・6・2番の順で、3番までしかありません。1880年から1910年という世界大戦など戦争が多い時代の影響が、このように歌詞の内容にまで影響を与えていたのです。

★この曲のおかげで、戦争が一時停戦になりました。

この曲が戦争のさなかに、一時的な停戦をもたらしたことがありました。それは1914年 のクリスマス・イブのことでした。第一次世界大戦中、英軍とドイツ軍が国境を挟んでにらみ合っていましたが、突然に、ドイツ側陣地から、明りが高々と掲げられました。英国軍はこれは変だと警戒をしました。そうしたら、まもなく聴こえてきたのはドイツ語の"Stille Nacht! Heilige Nacht"(きよしこの夜)でした。そしてその歌が終わったすぐ後に、今度は英軍陣地から英語による"Silent Night" が歌いだされたのです。その時は戦場から、銃声や砲声が消えてしましました。しばらくして、双方の兵士たちは、三々五々、銃を置いて、対峙している中間地帯に出ていきました。お互いに 「クリスマスおめでとう」 の挨拶をして、握手をし、持っている食料や飲み物を交換しあい、互いの家族の写真を見せあいました。なんと、つかの間の停戦と敵味方同士の交流がこの歌を仲介として生まれたのです。戦争をしていても、本当は、兵士それぞれはクリスマスには、平和を望み、静かな、清い夜を過ごしたかったのです。

上層部はこのことを隠したがったのですが、 「The Christmas Truce」 (クリスマスの休戦・クリスマス停戦) としてこのエピソードは世界中に次第に伝えられ、広まり、ついに何度か映画化、演劇化されるようにもなりました。映画 「戦場のアリア」 は少し内容は違いますが、この出来事を描いています。同様なことは、他の戦争でもあったようです。

戦時中にもかかわらず、兵士たちは中間地帯に出てきて、"Silent night"/"Stille Nacht"(きよしこの夜)を歌いだし、一時的な停戦ができました。

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映画「戦場のアリア」で「きよしこの夜」によるクリスマス停戦を描いています。

http://www.kadokawa-pictures.jp/official/aria/

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<きよしこの夜(Silent Night):英文歌詞>

Silent Night, Holy Night
Silent night, holy night!
All is calm, all is bright.
Round yon Virgin, Mother and Child.
Holy infant so tender and mild,
Sleep in heavenly peace,
Sleep in heavenly peace.

Silent night, holy night!
Shepherds quake at the sight.
Glories stream from heaven afar
Heavenly hosts sing Alleluia,
Christ the Savior is born!
Christ the Savior is born.


<「きよしこの夜」(Silent Night): 英文歌詞の和訳>

静かな夜 神聖な夜
みんな静かに 輝いて
あの 聖なる母と子の周りで
聖なる赤子は 優しく穏やかに
神の御元で安らかに眠る
神の御元で安らかに眠る

静かな夜 神聖な夜
羊飼いが見ておののいた
聖なる光が はるか天井から
天の使いが 神を讃えて歌い
救世主キリストが お生まれになった
救世主キリストが お生まれになった

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<きよしこの夜:日本語歌詞>

清し この夜 星は光り
救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く

清し この夜 御告(みつ)げ受けし
牧人達は 御子の御前(みまえ)に
ぬかずきぬ かしこみて

清し この夜 御子の笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり ほがらかに


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6番までのドイツ語原詩と英語対訳を知りたい方は、下記のページをどうぞ。

きよしこの夜:ドイツ語、英語対訳の歌詞のページ(6番まで)

http://www.soundpie.com/hymn/109.htm

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「きよしこの夜」の歌は、昔から誰もが、なんとなくクリスマスの頃に聞いていた曲です。もちろんキリスト教関係の歌ではありますが、クリスマスころには街で聖歌などという感じではなく他の歌と共に流しています。それこそ、どこかの民謡のようですね。なおこの記事では讃美歌と言わずに聖歌と言っています。それは一般的にカトリックは聖歌と呼び、プロテスタントは讃美歌と呼んでいて、この場合、現地がオーストリアでカトリックだからです。

ドイツ語の原詩と日英の歌詞の違いには少し驚きます。日本では日本語か英語の「きよしこの夜」の歌が圧倒的に多いので、気がつかない方も多いとも思われます。

この記事を書いていると、筆者はかなりクリスマスをやる派と思われるでしょうが、我が家はほとんどクリスマス的なことはやりません。クリスマス・ケーキなど今だに買ったことがありません。ただドイツのクリスマのころに食べるケーキのシトーレンだけは、昔からの諸般の事情があって食べてます。しかしそれとて、クリスマスだからという特別感覚ではありません。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
すごく面白い秘話ですね。ひょんなことから生まれた”きよしこの夜”は幾多の障害を乗り越えて世界中で愛されているのは、曲そのものが美しく人々の心に響いたからでしょうね。物語を聞いて感動しました。”戦場のアリア”映画を見たことがありますが、美しい実話だなと思ったことがあります、それだけクリスマスのお祝いは彼等にとって特別な意味があるんですね、もう一度この話を思い出しながら映画を見たくなりました。クリスマスだけでなく停戦が出来るきっかけは他にはないんでしょうかね?
Anne
2012/12/03 20:14
Anneさん
「きよしこの夜」は小さい頃よりよく聞いていて、特別にクリスマスの曲というような感じは私にはありません。子供の頃、クリスマスイブで歌っていたことを思い出します。きれいないい曲だなとは思っていましたが、こんな由来があったと知って、余計に親しみが増しました。

クリスマス停戦と言わず、各地の紛争を、早くなんとか停止できないものか、の思いは私も同じです。今だに世界は何かの問題を解決するのに戦争、騒乱、デモを含む、威嚇的、暴力的な方法でうったえることが多いですね。

Jack
2012/12/04 16:16

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