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zoom RSS 童謡「赤い靴」の女の子は異人さんにつれられてアメリカへは行ってなかったー赤い靴の真実

<<   作成日時 : 2012/07/07 17:09   >>

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横浜の海を望む山下公園は、いつも人で賑わっています。もう航海しない氷川丸が岩壁に繋がれ、外国から入港した客船が見えます。そして公園の中程には童謡「赤い靴」の銅像があります。この銅像を見て、「ここから赤い靴の女の子はアメリカへ旅立っていったのだなー」と思いにふけっていました。しかしあるとき、横にいる人達が、「実際には女の子はアメリカに行ってなかったんだって!、赤い靴の銅像はまだ他にもあるよ!」と話しているのを聞きました。「エー!」と思っって、その後調べてみたら、確かにそのとうりでした。ではあの童謡はどうして異人さんにつれられて、アメリカへ行ったようになっているのだろう?

調べていくと実情がわかってきました。これには悲しくも哀れな物語があったのです。私が知り得たその童謡「赤い靴」にまつわる話をしましょう。

横浜、海望む山下公園の「赤い靴」像

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「赤い靴」

作詞:野口雨情    作曲:本居長世

(一)
赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

(二)
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

(三)
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

(四)
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

(五)
生まれた 日本が 恋しくば
青い海 眺めて いるんだろう 
異人さんに たのんで 帰って来


(注:5番の歌詞がその後見つかったので書いておきます。)

●宣教師夫妻ににあずけられるまで

この歌のモデルになった女の子は、「岩崎きみ」といいます。明治35年(1902年)静岡県静岡市の日本平の麓の村で生まれました。この子の父親は誰か分からず、私生児だったようです。母親の名前は「岩崎かよ」といい、この子を生んだのはまだ18才で未婚の母でした。既に両親は亡くなっていて、身内はいなく、周囲からは未婚の母、ふしだらな女と白い目で見られました。

そんな冷たいところでにはとてもいられず、母子は遠く北海道の函館に逃げるように移動しました。そして土産物屋で働いているうちに、「鈴木志郎」という人と知り合い、まだ小さな「きみ」がいることを承知で求婚され、結婚しました。しばらくして、夫志郎に「平民農場の開拓に参加しないか」との誘いがあり、その方面に傾倒していた夫は参加することにしました。しかしそこは未開の寒さが厳しい荒れたところで、狼や熊もいるような危険なところでした。食料も充分確保できるかあやしいところです。そんなところで病弱な幼いきみを連れていけるのか夫妻は悩みました。しかし偶然に知人より、アメリカ人宣教師のチャールズ・ヒュエット夫妻が養女を探していることを知りました。母親のかよは、こんな過酷なところでは「きみ」は死んでしまうかもしれない。それよりは宣教師夫妻に「きみ」をあずけたほうが、「きみ」は幸せになるのではないかと考えたのです。ずいぶんと悩んだ末に、とうとう複雑な思いで、泣く泣くきみを宣教師夫妻に託することを決心しだのです。このところが、歌で{異人さんににつれられていちゃった」になるのです。「きみ}はそのときまだ4才でした。

静岡県、日本平の麓に「赤い靴」のモデル、「きみちゃん」は生まれた。山頂からは富士山がきれいに見える。すぐ横の山には久能山東照宮がある。

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●異人さんに預けられた後はどうなったのか。

明治38年(1905年)、「きみ」の父母は北海道の羊蹄山近く、現在の留寿都村(るすつむら)に開拓民として入植しました。しかしそこは予想以上の過酷な環境と労働でした。ここでの農場団は結局苦労の末、その後解散してしまった。そして「志郎」と「かよ」は札幌へと移動しました。志郎はなんとかある新聞社に職を見つけ、そこでこの歌を作った「野口雨情」に会ったのです。野口雨情は夫婦と親しくなり、「かよ」は野口雨情に、これまでの苦労話を話しました。自分の子は今頃アメリカ人の宣教師に連れられてアメリカにいて、幸せに暮らしていると思うとの話でした。野口雨情はこの話を聞いてその後イメージを膨らませ、「赤い靴」を大正十年に雑誌に発表しました。

留寿都村(るすつむら):北海道、羊蹄山の横、洞爺湖の北側にこの村があり、ここにきみちゃんの父母は、開拓民として入植した。

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しかし本当は、「赤い靴の女の子」は、異人さんに連れられて行かなかったのだそうです。それが分かったのはこの歌が作られたずっと後の、昭和53年(1978年)でした。北海道のあるテレビ局が、この歌の由来を追いかけているうちに判ったのです。昭和48年(1973年)に北海道新聞にある投書があり、なんとその投書した本人は、「赤い靴の女の子」である「きみ」の義理の妹、「岡その」だったのです。そのは「きみ」が宣教師にあずけられた後に、志郎とかよの間にできた「きみ」の妹でした。そのは投書で自分が生まれる前に、異人さんに連れられて行っちゃった姉の「きみ」が、まだ生きているのなら、なんとか会いたいと書いたのです。そしてこの記事がきっかけとなり、北海道テレビのあるプロデュサーが執念をもって、「きみ」の消息を追いかけました。「きみ」が転々とした各地、はてはアメリカまで「きみ」を探し続けました。そしてついに真相がわかり、昭和53年(1978年)彼はテレビで真相を伝えました。

●「赤い靴の女の子」のその後の真実

宣教師夫妻は、「きみ」を引き取り後、我が子のようにかわいがりました。しかし「きみ」には病魔が忍び寄っていたのです。それは、その当時不治の病と言われた結核でした。そのような状況のときに、宣教師夫婦に、母国アメリカから帰国命令が来ました。病の「きみちゃん」を、長い船旅でアメリカまで連れてゆくのは、とてもできない。しかし帰国命令は守らないといけない。宣教師夫妻はやむなく、彼女を東京の麻布十番の同じ系列協会の孤児院に預けて、辛い思いでアメリカに行ったのでした。そして「きみちゃん」はそのまま、ここで暮らし、病床のまま明治44年、9才の短い生涯を終えたのです。お母さんと分かれて5年後のことでした。赤い靴の「きみちゃん」は今、東京・六本木、鳥居坂教会の共同墓地に眠っています。この鳥居坂教会の近く、麻布十番に平成元年(1989年)に、「赤い靴の女の子」である「きみちゃんの像」が建てられました。この像の台座は募金箱になっています。浄財は世界の恵まれない子にユニセフ等通じて寄付されているそうです。

東京、麻布十番にある「きみちゃんの像」。下に募金箱がある。

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北海道の母かよは、死ぬまで自分の娘「きみ」は、宣教師夫妻と一緒にアメリカで、元気に暮らしているものと信じていました。だからこそ「きみ」の妹の「岡そのさん」が、ずっと後に、投稿記事で、姉の「きみちゃん」に会いたいと書いたのです。 また雨情もこの歌の作詞する時に、「きみちゃん」の真実を知っていたならば、童謡「赤い靴」が生まれることはなかったかもしれません、もしくはかなり違う歌になっていたかもしれません。

●赤い靴の「きみちゃんの像」は全国にあった。

赤い靴の女の子「きみちゃん」の像は、上記の麻布十番のほかに、生まれ故郷の静岡県日本平山頂、歌詞に「横浜の波止場から」とある横浜の山下公園、母かよと父志郎さんが入植した開拓農場の場所である北海道留寿都村 、かよさん夫妻が晩年を過ごし、そのお墓がある、北海道・小樽市の運河公園にあります。また新しくは、平成 21年(2009年)に6つ目の像が、かよさんたちにとって初めての北海道の地であった函館にも、開港150周年記念として出来ました。さらに平成22年(2010年)には、父親志郎さんの故郷である青森県鰺ヶ沢町に「赤い靴の女の子記念像」が7つ目の像として完成しました。像として一番古いのは1979年に設置された横浜、山下公園の像となります。また像というにはこじんまりしていますが、人々が集まる賑やかな横浜駅南口に、1982年、「赤い靴の像」が設置されました。そして横浜駅の改良工事に伴い、2010年にこの像は横浜駅中央通路に移設されました。横浜駅の像を入れると、全部で8つの像があることになります。上記の像の中には、「赤い靴の女の子」だけでなく、母親と一緒の像や親子3人の像もあり、それぞれの地方の、きみちゃんとのゆかりに合わせて、像は作られました。

静岡県、日本平山頂にある赤い靴の母子の像

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父親志郎さんの出身地、青森県鰺ヶ沢町には、親子三人の像が仲良く設置されている。きみちゃんは赤い靴を履いている。

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話はこれで終わりません。2010年にアメリカ、カリフォルニア州の南部、サンディエゴ市に「赤い靴の女の子の像」が、横浜開港150周年と銅像建設30年、横浜市とサンディエゴ市の姉妹都市50周年(2008年)をきっかけに、サンディエゴ市の海辺の公園に設置されました。このアメリカの像も入れるときみちゃんの像は全部で9つになります

横浜市の姉妹都市、アメリカ、カリフォルニア州、サンディエゴ市に完成した「赤い靴の女の子の像」の除幕式のシーン。

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7箇所の「赤い靴の女の子の像」がこのページで見れます。

http://jin3.jp/kimi/fore-cover.htm

●「赤い靴」その他

では、「きみちゃん」は本当に赤い靴を別れるとき、もしくは日常履いていたのでしょうか。残念ながら、このへんは、はっきりせず、野口雨情が作詞的にイメージをふくらませて赤い靴とか青い目と彩りを考えたようです。当時、青い目については、教会で洗礼を受けると、青い目になってしまうと言われてたそうです。子供が教会に入りたいと言い出したとき、親は目が青くなってしまうよ?と脅かしていたそうです。

脱線ですが、1960年代の横浜、中華街近くに「Red Shoes」(レッドシューズ:赤い靴)というライブハウス(いわゆるゴーゴークラブ)がありました。それと対応していたのが「ゴールデンカップ」という店で、ここからグループサウンズの「ゴールデンカップス」がデビューしました。「Red Shoes」には、たくさんのアメリカ兵が連日来ていて、ゴーゴーやその音楽が好きな人、アメリカ人と英会話の練習になるかもと来ている人達で賑わっていました。当時アメリカはベトナム戦争をしていて、アメリカ兵も一夜の憂さ晴らしを求めていたようです。日本も東京オリンピックから高度成長へと走っている時代でした。

その他、場所のよっては「赤い靴」をテーマにしたお菓子、道路のタイルなどもあり、結構「赤い靴」との関わりを大切にしています。

横浜の道路上の「赤い靴のタイル」

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「赤い靴の像」やこれに関連した物はまだどこかにあるような気がします。またこの物語には異説があり、上記の「きみ」は最初から孤児院にあずけられていた、宣教師夫妻とは会ってないなどの説がいくつかありますが、詩になるような物語としては、面白くない内容ですので、ここでは省略します。

この歌はずっと昔から、日本人の心のどこかに染み込むようにありました。それは背景に悲しい物語があって、この歌にもそれがじむように出ています。「野口雨情」はその他に「青い目の人形」、「七つの子」、「雨降りお月さん」、「シャボン玉」などとてもしっとりとした歌の作詞をしています。

野口雨情:赤い靴のほか、多くの童謡の詩を書きました。

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野口雨情と作品について

http://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/oitati.html

調べてゆくと、童謡には結構面白くも、悲しい裏話があります。それはまた次の機会に書くこととします。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
赤い靴の像が九つもあるとは、夢にも思いませんでした。どうして横浜と関係が深いのかこの背景となる話しから納得です。それにしても、音楽のリズムが悲しげなのも、この物語に関係していますね。親子の愛は、世代を超え、国境を越え人々に訴え続けることでしょうね。赤い靴の悲しく、美しいミステリアスな真実、心に残ります。
Anne
2012/07/08 11:15
Anneさん
赤い靴の像が他にもあると知っている人は、結構いますが、9つもあると知っている人は少ないようです。ネット上の記事もやや古いものが多く、最新情報を書いてあるところはあまりありません。それにしても童謡の歌詞は調べると、いろいろと思わぬ事情があるようです。雨情のシャボン玉の歌も悲しい背景があります。日本だけでなく外国の歌にも、やはり裏事情があるものがあります。またいつか類似の記事を書こうかなと思っています。
Jack
2012/07/08 18:50
なんかパッと見歌詞がかわいそうで怖い印象でしたがそういうことだったのですね。意外に歌詞の意味が深くてびっくりしました。とてもいい勉強になりました。これからもっと横浜について知っていきたいと思います。
赤い靴
2014/11/06 18:44
ブログ読ませて貰いました。
かなり詳しくお調べになって岩崎親子も喜んでいると思います。
私もかなり前ですが調べた事がありましたが不足部分もありました。
その後妹と両親は小樽富岡の教会で牧師としてのちの人生を暮したそうです。
dosankoannai
2015/08/09 07:39
追伸、私のニックネームdosankoannai
を開けると富岡の教会の写真と運河公園にある親子の像を張り付けています。
どうぞ自由にお使い下さい。
dosankoannai
2015/08/09 07:56
新しい情報お知らせいただきありがとうございます。この記事は赤い靴の女の子中心であり、紙面の都合から、妹や関係のことまでは書けませんでした。赤い靴の女の子の銅像はいくつか見ましたが、北のほうのものは見ていませんので、そのうち機会があったら見てみたいと思っています。
Jack
2015/08/09 16:36
赤い靴に興味があってなんでかわからないけど一番わかりやすいですね。
まいこん
2016/08/13 16:12
出典 教えて
,,,,,,,,,
2016/11/07 13:17

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