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zoom RSS 「黒田節」の飲兵衛侍は黒田24騎の一人/日の本一のこの槍とは?ードラマ「黒田官兵衛」にちなんんで

<<   作成日時 : 2014/09/10 18:51   >>

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2014年のNHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」は正確な情勢の読みと、それに合った策略を編み出した「黒田官兵衛」が豊臣秀吉の天下取りに大いに貢献する物語です。黒田家には「黒田24騎」と言われる強い侍がいて、官兵衛を助けました。官兵衛だけでなく、これら家来達についても逸話が残っており、各種の絵や博多人形にもなっています。

「軍師 官兵衛」

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「黒田節」と言われる歌があり、酒席でよく歌われる威勢のよい歌です。今回はドラマにはないこの「黒田節」(武士)の歌について書いてみました。

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まず「黒田節」の歌詞です(1番のみ)。

「酒は飲め飲め 飲むならば 
日の本一のこの槍を
飲み取るほどに 飲むならば 
これぞまことの 黒田武士」


この「黒田節」に登場する飲兵衛の武士は「黒田24騎」の一人、「母里太兵衛」(もりたへい)です。槍の名人で、体が大きく、豪傑、酒豪で知られていました。

「黒田24騎」は種々の絵や人形になっています。

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「博多どんたくパレード」の「黒田24騎」

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朝鮮半島での「文禄の役」の停戦交渉が行われている頃、京都、伏見にあった「福島正則」の屋敷に、朝鮮から一時帰国した「母里太兵衛」が、「黒田官兵衛」の息子で当時藩主となった「黒田長政」の使者として訪問しました。福島正則は、無類の酒好きであり、また母里太兵衛も酒豪として知られていました。そこで、長政は何かで面倒が起きてはと考えて、使者の太兵衛に「どんなに酒をすすめられても、絶対に飲んではならぬ」と、その日一日の禁酒を命じました。

酒好きの正則は、いい飲み相手が来たとばかりに早速、家中の者が集まって酒盛りを開きました。これは朝鮮での戦闘の一時中止で、厭戦気分を吹き飛ばすという趣向もあったようです。太兵衛は、主君の禁酒の命があるので、断固として酒を断わりました。しかし正則は納得せず、しつこく酒を勧めて、ついには三升はらくにはいる大杯に並々と酒を注いで、「この酒を飲み干したなら、なんなりと好きなものを褒美にとらすぞ」と酒を勧めましたが、太兵衛はまたしても断固として断ったのです。

「黒田節」のモデルとなった酒豪で豪傑の「母里太兵衛」

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そこで、業を煮やした正則は、今度は「なんだ、酒豪だと言われる母里でさえ、こんな程度の酒をも飲む自信がないとは、黒田家の侍もたいしたことないな」と太兵衛を脅かすように言いました。自分だけならともかく、黒田藩を侮辱されては黙っておれません。藩の名にかけて杯を手にとりました。杯は三升入り漆塗りの大杯でしたが、太兵衛はそれを、一気に飲み干すと「おかわり」、「おかわり」とあれよあれよと飲み干したのです。そして、飲み終わると正則に、「お約束のご褒美にはその槍を頂きたい」と一本の槍を指したのです。この槍こそ天下一と知られる「日本号」の槍でした。

ドラマで「速水もこみち」が演じる「母里太兵衛」

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この槍は、元は皇室所有物だったもので、槍に「正三位の位」を賜ったという伝承から、「槍に三位の位あり」と言われたものです。正親町天皇より、室町幕府15代将軍である足利義昭に下賜され、その後、織田信長を経て豊臣秀吉に渡り、秀吉よりさらに福島正則に与えられた、名槍「日本号」でした。これは正則にとっても家宝ともいえる槍でした。正則は「武士に二言なし」としてやむなくこの槍を譲り渡したのです。太兵衛はこの槍をかつぎ、黒田藩歌の「筑前今様」を吟じながらゆうゆうと帰って いったといわれます。この歌が後に替え歌となり、現在謡われている「黒田節」となりました。「黒田節」は、平安末期から鎌倉時代にかけて流行り、白拍子に歌われた「今様越天楽」を元にした藩歌「筑前今様」(黒田節の元歌)の替え歌です。また黒田藩の槍の指南役の人が、「早見川」という酒の歌を作りましたが、これが「黒田節」の元歌とも言われ、その替え歌が「黒田節」という話もあります。

博多の「黒田武士の像」。下に黒田節の歌詞が書いてある。

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正則は後にしらふになってから、秀吉からもらった家宝の「日本号」を失った重大さに気づき、黒田家に槍の返還を申し出ますが、黒田長政は、一旦武士が合意したものとして返還には同意しませんでした。このため一時両家の関係が悪化しましたが、その後、黒田長政の兜「大水牛」と福島正則の兜「一の谷」とを交換して手を打ったそうです。「日本号」の槍は、その後、黒田家より福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品として公開されています。また母里太兵衛は、黒田長政が筑前(福岡県)の城主52万石になったあと、1万8000石の鷹取城の城主となりました。

名槍「日本号」

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黒田節」は昭和初期に芸者歌手である「赤坂小梅」によってレコード化され、1942年(昭和17年)にコロムビアレコードから発売され一気に有名になりました。当初は「黒田武士」の題でした。第二次世界大戦中であったため、この歌詞とタイトルは戦意高揚のようにもとられ、この歌は流行りました。戦後1950年(昭和25年)に歌詞を一部変更し、「黒田節」の題として再発売されました。当時は「黒田節の小梅か、小梅の黒田節か」と言われたほどのヒットでした。

「赤坂小梅」の「黒田節」は大ヒットした。

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大河ドラマでは、こんな裏話までは話がいかないですね。それにしても勘兵衛の才覚もさる事ながら、やはりそれを支えるすごい家来がいたからこそ、あれほどのことができたのではないかと思われます。

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私も宴席でこの「黒田節」を歌った覚えがあります。これには踊りもついていて、刀を持ってきっちりと武士のような振る舞いでみごとに踊ります。博多人形には黒田24騎の人形があるようで、博多の人たちはこの戦国から、江戸時代を乗り切った黒田官兵衛とその家来たちにはひとしお感慨の念があるようです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
黒田節の裏話、面白かったです。黒田武士、より黒田節のタイトルのほうが、堅苦しくなく一般受けしそうなきがしますが、背景を知ると武士のほうがぴったりですね。それにしてもこの家宝の槍「日本号」を是非実際に見てみたいです、写真も楽しめましたが。
Anne
2014/09/11 09:17
Anneさん
大河ドラマは表面的な話が主ですが、それに関連したこうした話も知っていると楽しめます。物事にはたいてい裏と表があり、表ばかり見ていると、本当の面白みがありません。

私は、よく知られれている人物を主役とした物語よりも、それに関連した、名も無き裏方でしかも本当はすごい人が好きです。そんな物語は少ないですね。

酒豪とは言え、大杯のお酒を一人で何杯も飲めるとは信じられない話ですが。大げさに伝えられているのでしょう。最近、「武士に二言はない」との風調はうすれて、約束は破られるもの、時と情勢で変化するものとの捉え方が増えています。ベストセラーの「バカの壁」がそんなことを言っていますね。日本人の良さもいつのまにか変わってきているのでしょうか?
Jack
2014/09/11 16:37

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