Jackと英語の木

アクセスカウンタ

zoom RSS 富士山の神社はどうして浅間神社?/こんぴらさんはワニからできた?ー神社よもやま話

<<   作成日時 : 2014/03/22 17:11   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3

私たち日本人はさまざまな形、状況により神社に接しています。外国人にはわからない神社に対する心があります。初詣、観光など日常的に神社には接していいますが、実は疑問が起きるものがあります。そこで今回はいくつかの興味ある神社の話を書いてみました。

★富士山の神社はどうして浅間神社になったのか?★

富士山は世界遺産に登録されて以来、急に富士山付近に訪れる観光客が増えたそうです。この富士山には富士山信仰の象徴たる浅間神社があります。しかし浅間神社といっても種々の浅間神社が各地にあります。もっとも代表的なのは富士市にある富士山本宮浅間神社です。しかし富士山で浅間(せんげん)の名がついているのはどうしてでしょう?

富士山本宮浅間神社

画像


富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために、富士山を神(浅間神、浅間大神)として祀ったもので、中でも富士山本宮浅間大社(浅間大社ともいう)は最も早く建立されたものです。浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮です。

この神社の「社記」によれば、第7代孝霊天皇の時代に、富士山が大噴火をした。付近の住民は離散し、地域は荒れ果てた状態が続いた。このため第11代垂仁天皇は、浅間大神を富士山麓まつり、山霊を鎮めました。これがこの神社の起源といわれます。大同元年(806)に、坂上田村麿が平城天皇の命により、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営し、最初の場所から移転しました。この地は富士山の神水の湧く地ところで、神を祀るのに最もふさわしかったためといわれます。ここの主祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)で別称、浅間大神(あさまのおおかみ)といいます。

その後、この神社は有名な武将たちの厚い信頼が続きます。源頼朝・北条義時・武田信玄/勝頼親子・豊臣秀吉・徳川家康などから手厚い保護を受けました。源頼朝は、富士山麓でも巻狩りの際に参拝し、流鏑馬を奉納したので、現在でも、流鏑馬祭としてとして伝えられています。武田信玄の寄進したしだれ桜(信玄桜)もあります。徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利したお礼として、本殿・拝殿・楼門など30余棟を整備しました。また富士山8合目以上はこの神社の奥宮境内地としての社有地となっています。

武田信玄のしだれ桜

画像


ではなぜ富士山なのに、浅間(せんげん)と呼ばれているのでしょうか? 長野県の軽井沢近くに、浅間山があり、あさまは火山を意味していました。「あさま」は古い呼び方で、「せんげん」は中世以降から呼ばれるようになったらしい。したがって、古くは、富士山はあさまと呼ばれていた時期もありました。人々は時々大爆発を起こす富士山を神の怒りとして恐れ、敬い、崇めて、しだいに富士山信仰が出来上がってきました。

長野県の浅間山

画像


富士山の名前はどうしてついたのでしょうか。かぐや姫が月に帰るときに、時の天皇がもらった不死の薬を「姫のいないこの世に生きながらえても・・・」として、「駿河にある天に一番近い山」でこの薬を焼かせることにしました。そして山からは煙が立ち上り、不死の薬から不死山になった。また日本最高峰の山で、高さでは並ぶものの無い「不二」の山から不二山になった。その後、「富士山」という表記になったのは、「士に富む山」という意味にしだいにとられ、これは侍(さむらい)による武士道が発達する鎌倉時代以降の名前の変化とみられています。

富士山と天女に関する絵も多い

画像


★こんぴらさん(金刀比羅宮)は元はワニだった。★

こんぴらという言葉は何か変ですね。四国、香川県にあるこんぴらさんは正式には金刀比羅宮(ことひらぐう)といいます。このこんぴらとは実は動物のワニの意味があります。ではどうしてそうなったのか?

ここの開山は、およそ七百年程前で、当時の寺名を象頭山松尾寺金光院といわれ、寺と神社が一緒になって、金毘羅大権現を祀ったのが始まりです。現在の金刀比羅宮は、本来は真言宗の寺院で象頭山松尾寺といわれ、金毘羅大権現は松尾寺境内の鎮守社でした。江戸時代になると松尾寺の金毘羅が信仰を集め、海上安全の神として全国各地に広まりました。しかし明治の神仏分離政策によって松尾寺が廃寺となり、神社に改変され、祭神の由来、歴史なども替えられて神道の金刀比羅宮となりました。

金刀比羅宮

画像


本宮までで785段の階段。さらに奥社までで計1,365段の階段がある。

画像


ところでこんぴらさん=ワニの話です。かって、インド、ガンジス河にはワニの姿をした神様クンピーラがいたと言われます。クンピーラが仏教の世界にあらわれると宮毘羅(くびら)大将になり、これは金毘羅(こんぴら)さまと呼ばていました。今の金毘羅宮は、かってはお釈迦さまをご本尊とするお寺で松尾寺でした。金毘羅さまは、お釈迦様が修行したと言われるヒフラ山の守護者だったので、一緒に祀られることになりました。ワニの神様クンピーラ金比羅さんとしてここで一緒になり、こんぴらさんになりました。

さて、こんぴらさんは山にあるのに、どうして水に関係があるのでしょうか? それは、金毘羅さまは元々はワニで、海や水に縁が深かかった。クンピーラはガンジス川の女神ガンガーの乗り物であったことから、金毘羅権現海上交通の守り神として信仰されてきました。ここの松尾山は瀬戸内の海を航行する舟人たちの目印にもなっていて、航海の神様としての存在がしだいに増してきました。そしてついに「金毘羅大権現」と呼ばれ崇められるようになりました。インド・中国・日本の仏教の三国の衣裳・装身具を身につけて、大小の天狗尊を従えています。またここの象頭山(ぞうずさん)の名前ですが、もともと金毘羅さまの守っていたヒフラ山は「象の頭」を意味する言葉であり、松尾山がしだいに象頭山(ぞうずさん)と呼ばれることになったのです。

象頭山・大麻山・愛宕山は、独立峰が連なる山々。象頭山には金刀比羅宮がある。
画像


ネバールにはクンビラという山があり、地元のシェルパ族が神の山としてあがめていて、登ることは許されていません。「クンビラ山」(5760m)という山の名前は、ワニの神のクンピーラから来ていると思われます。

ネパールのクンビラ山

画像


こんぴらさんを歌ったものに金毘羅船々があります。この歌詞を見るとやはり海、航海に関係があることがわかります。

 金毘羅船々
 追風(おいて)に帆かけて
 シュラシュシュシュ
 まわれば
 四国は 讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり)
 象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(だいごんげん)


付近を船で旅している人たちに、「金刀比羅宮にどうぞ。とても素敵な所ですよ」と言っている歌ですね。ここの「シュラ」は「修羅」の神のこととか、また「シュラ」とは、巨石運搬用のソリのことをいっているともいわれます。すなわちソリ(シュラ)がすいすい進むように、船が追い風を受けて進んでる様を歌ったとの話もあります。

脱線ですが、江戸時代末期の侠客、清水の次郎長の名代で、こんぴらさんに参拝しにきた森の石松は、こんぴらさんの近くにある旭社を本宮だと勘違いして刀を奉納したと言われ、その刀が今でも宝物殿に残っているとか。石松が船の中で「寿司くいねー」と言ったのもこのこんぴら参りのことです。ただしこの寿司は関西方面なので押し寿司でした。

森の石松が奉納した刀

画像


ついでの話ですが、きんぴらゴボウなどの「きんぴら」は、ここのこんぴらさんとは違います。江戸時代、浄瑠璃や歌舞伎、絵双紙などで人気があった「坂田金平」にあやかってきんぴらごぼうと名付けられたものです。金平は坂田金時(金太郎)の息子であり、父親譲りの大変な力持ちの豪傑であったことから、強い者の代名詞となり、唐辛子の辛さと、ゴボウのシャキシャキとした歯ごたえからきんぴらごぼうと名付けられました。

「きんぴらごぼう」の名は金太郎の息子、坂田金平から

画像


★三種の神器の一つである宝剣は熱田神宮にある。★

愛知県名古屋市にある熱田神宮は日本でも有数にお参りする人が多い神社です。歴史も古く、境内には国宝、重要文化財など収蔵されており、境内も広大です。祭神は熱田大神で、さらに天照大神、日本武尊など5神を祀っています。

熱田神宮

画像


ここの御神体は三種の神器の一つである草薙の剣(くさなぎのつるぎ)です。三種の神器は天皇が保持していると思っている方も多いようですが、古代からのもので、皇居にあるのは、そのうち一つ勾玉だけで、他二つは外部の違う神社にあります。皇居には宝剣と鏡は形代(レプリカ)で保存されています。

三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)を指します。これらは実際には、天皇、皇族でさえも見ることは許されておらず、謎に包まれています。


●八咫鏡(やたのかがみ)

天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際に、石凝姥命が作り、天照大神が岩戸を細く開けた時に、この鏡で天照大神自身を映して、興味を持たせ、大神を外に引き出し、再び世の中は明るくなった。これは伊勢神宮内宮にあり、ご神体とされていて、八咫鏡は古来のものが現存するといわれる。

●八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)


八坂瓊曲玉とも書きます。大きな玉で作った勾玉(まがたま)で、天照大神が岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられたと言われる。勾玉は古代のものが皇居に現存するとされる。

●草薙剣(くさなぎのつるぎ)=天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ);旧名は草那芸之大刀(くさなぎのつるぎ)

古事記では草那芸之大刀と記されている。神話では須佐之男命が出雲(現在の島根県安来地方の中国山地側)で退治したヤマタノオロチの尾から出てきた剣です。その後、 日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東国遠征に際して、この剣を持っていき、火難に逢った際、周りの草を切り払って助かったことから、草薙剣と呼ばれるようになりました。静岡県の「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことに由来しています。熱田神宮に祀られる草薙剣は古来のものが現存するとされています。

日本武尊は草薙の剣で草を切り払った。

画像


<草薙剣>(くさなぎのつるぎ)について


日本武尊が東国遠征で草薙剣(くさなぎのつるぎ)を使って活躍したあとのことです。日本武尊が尾張(おわり)に入り、荒ぶる神と対決するために伊服岐(いぶき)の山に出かけた際に、素手で戦うつもりで草薙剣を置いて持たずに出征しました。この戦いでは、剣の霊力に守られなかったためか、苦戦を強いられ、ついに病気になった末、命を落としてしまいます。

妻である美夜受比売(みやずひめ)の元には草薙剣が残されました。美夜受比売は尾張国に日本武尊をしのび、神社を創建して草薙剣を祀りました。これが現在の熱田神宮の始まりと、草薙剣が熱田神宮にある由来です。この剣は、その後失われることなく、現在まで熱田神宮にあると言われています。

草薙の剣があるといわれる熱田神宮宝物殿

画像


さて平安時代末期にあった源平の壇ノ浦の戦いで宝剣と勾玉が海に沈みました。二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し、勾玉の箱を奉じて入水して一緒に水没しました。草薙剣はその後見つからず、その時の剣は現存しないが、この剣はもともと草薙剣の形代(レプリカ)であり、後に改めて相当する形代の剣が伊勢神宮の神庫から選び出され、これが現在の皇居にある剣です。草薙剣はもともと2本あったと言われ、朝廷に伝わったとされる「草薙剣」は、第10代崇神天皇が神器と一緒にいるのは畏れ多いと剣の模造品(レプリカ)を鋳造し、これを護身のため宮中に置いたといわれます。また歴代天皇の死去には宝剣を元の熱田神宮に返さないたたりだと信じられてことがあり、レプリカを作成したようです。

ところで、勾玉の方は、壇ノ浦で水没の際に箱ごと浮かび上がり、源氏に回収されました。この勾玉は古代からのもので、皇居に現存するとされます。現在、皇居には三種の神器が保存されていますが、勾玉は古来のものですが、宝剣と鏡は形代(レプリカ)で、古来からのものはそれぞれ熱田神宮、伊勢神宮にあります。

壇ノ浦の戦場跡

画像


今では、電化製品の三種の神器などとやゆされて、この言葉は大切なもの、はやりのものの代表として現在は使われる方が多いですね。

上記の三種の神器について書きましたが、天皇でさえ見ることができないので、その実態と保存場所は実際には明確でなく、謎に包まれているのが現状です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
外国から見ると日本の神社はうまく理解できないものの一つようです。私たちでさえ、日常なんとなく、初詣や七五三、合格祈願などでお参りしたり、各地神社を観光したり、結婚式を挙げたりして、神社は生活にも溶け込んでいますが、神社をよく理解している人は少ないでしょう。それでも日本人は、長い間なんの支障もなく神社と付き合っています。

神社にはまだまだ興味深い話題がありますが、今回は私的に興味あるのだけ書いてみました。神社に関連して、違うページに「鳥居」についても書いていますので興味のある方はご覧下さい。

「鳥居」について
http://jack8.at.webry.info/201210/article_3.html

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
富士山の浅間神社から始まり、歴史、名前の由来など知らないことばかりでした。金毘羅さんの歌の意味初めて知りました。三種の神器も詳しく説明されていますが全部覚えられないので、疑問を持った時また訪れてみたいです。いろいろな話題を調べてくださり、大変だったのではと想像しています、でも写真も興味深く、読み応えありました。


Anne
2014/03/25 16:04
Anneさん
日本人がいつの間にか自然と付き合っている神社について、意外と知らないことが多く、この記事を書く事にしました。こんぴらさん参りの森の石松が食べたのは押し寿司だったとか、いろいろ判りました。

本日、天皇陛下が伊勢神宮にご参拝のおり、三種の神器のうち宝剣と勾玉を持参されましたが、宝剣はレプリカで、持参しなかった、鏡は伊勢神宮にある、ということがわかっていたら、このようなニュースももっとよく、一般の方に理解されるでしょうね。あいにく、TVや新聞はそこまで伝えていないので、皇居に本当の神器が全部あると誤解される方も多いでしょうね。

金比羅山にはかってお参りしたことが有り、あの長い階段には閉口しました。
Jack
2014/03/26 19:00
 いずれにしても田村技師長より久保田博士がまともだったということか。
英国プリンスオブウェールズ
2016/03/21 19:48

コメントする help

ニックネーム
本 文
Google
富士山の神社はどうして浅間神社?/こんぴらさんはワニからできた?ー神社よもやま話 Jackと英語の木/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる