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zoom RSS 「スイス」の本当の名前は「ヘルベチア」?

<<   作成日時 : 2012/10/21 19:40   >>

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以前、世界の小さな国々について書いたことがあります。私は地理や地図が好きで、地図は毎日のように眺めています。最近は書籍の地図だけでなく、Web上で見れる地図、地球儀、それに関連するページも見ていますが、そうすると時々「なにこれ!」と言ったような発見があります。今回の話はスイスの国名とスイスに関連することです。

★スイスはヘルベチアと呼ばれ、切手や通貨にも表示されているのを知っていますか?

ヘルベチアって国の名前はどこと思いますか?実はある意味、スイスの隠れた本当の国の名前です。スイスは公式の英語表記は Swiss Confederation、通称は Switzerland(スウィツァランド) でスイス連邦です。しかしスイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語であり、現在のスイス連邦の四つの公用語で国名を表記するときに、それぞれを全部書き連ねるのは大変で、どれかに一つに偏るのも問題があるので、昔のラテン名である「HELVETIA」(ヘルベチア)を国内では、統一的な国の名前として使っていくことになったのです。

ただ、それでも各国言語での標記をするときは、独・仏・伊の3ヶ国語で標記されていることが多いようです。スイス国の国際記号は、CH(Confoederatio Helvetica)で、ヘルベチア連邦という意味です。祖先がヘルベチア系民族で、いろんな言語に配慮して、国内でのスイス国の表示にはこのラテン語が使われています。ちなみに、独・仏・伊の3ヶ国語での国名は、スイス連邦 Schweizerische Eidgenossenschaft(ドイツ語)、Confederation Suisse(フランス語)、Confederazione Svizzera(イタリア語)ですが、統一国名としてはConfoederatio Helvetica(ラテン語)が使われています。そして、スイスの国を意味する略語としては、CH=Confoederatio Helvetica/コンフェデラチオ・ヘルベチカ(ヘルベチア国家連邦)が使われています。このヘルベチアの名前が郵便切手やコイン、車の国別表記などに表記されています。通貨の略称もCHFと用いられているのはConfederatio Helvetica Francが正式なためです。


ヘルベチアの名が入った切手

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スイスの地図と言語の分布

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★スイスの歴史とヘルベチア関連を見てみましょう。

ヘルベチアの始まりは、ケルト人で、紀元前より鉄器文明などをこの地に築いていました。ケルト人は中央アジア出身で各種部族があって、それぞれ領土争いなどを繰り広げていました。スイス周辺に住んでいたのはヘルウェティ族と呼ばれる人々でした。やがてヘルウェティは次第に勢力を拡大してゆき、ついにはローマ帝国と衝突するようになりましたが、紀元前58年、ローマのジュリアス・シーザーの時代になると、ヘルウェティは現在のスイス領周辺にまで押し戻されていて、ローマ人はその地を「HELVETIA」(へルべチア)と呼ぶようになったのです。一時ローマ帝国の属州になったのですが、その後、ドイツ人、フランク人が入れ替わりこの地を支配しました。そして1291年8月1日に、ハプスブルグ家の支配から独立し、相互援助を目的とした永久同盟(リュトリの誓い)を結び、現在26の州からなるスイス連邦の原型であるスイス盟約者団ができました。これにより、現在のスイス連邦も8月1日を建国記念日としています。あのウイリアム・テルが、自分の子供の頭の上のリンゴを弓で射たという伝説もこのころの話です。

1798年3月5日、フランス革命後のフランス共和国軍はスイスへ侵攻し、スイスの盟約者団は崩壊し、4月12日にフランスの息がかかったヘルヴェティア共和国の建国が宣言されましたた。これまでの州における独立性の高い政治体制は廃止され、フランス革命の原理である中央集権的な政府が樹立されました。しかしこの政策はスイスの国情と合わず反発を招き、各地で発生した蜂起はフランス占領軍によって鎮圧されましたが、不安定政情が続き、財政問題もあり、国家としては機能していなかった。1803年2月19日、フランスのナポレオン・ボナパルトの仲裁により、かっての盟約者団が復活し、中央集権的な政府は廃止されました。この情勢の中いくつかの領域が州へと昇格し、憲法も見直されるなどして、今日のスイスの基礎的なものが出来上がりました。

1815年、ナポレオン後のヨーロッパについて協議したウィーン会議で、スイスの独立が改めて確認されると共に、永世中立国として国際的に認められました。このとき、フランスの占領下に置かれていた3州が連邦に加わって、スイス同盟を構成する州の増加は、これが最後になりました。その後、第一次、第二次対戦も中立を守り現在に至っています。

こうしてみると、ヘルベチアという名前は古代の民族名に由来し、かつ18世紀末に一時的に出来たヘルベチア共和国にも由来しています。日本でいうと「大和」のような感じでしょうか。

ここで歴史だけでなく、参考にスイスの国の概要を書いておきます。

首都: ベルン
面積: 4万1285km2
人口: 731万8638人(2003年推計)
言語: ドイツ語(63.6%)、フランス語(20.4%)、イタリア語(6.5%)、
ロマンシュ語(0.5%)、 その他(9%)
通貨: スイスフラン
日本から移動時間: 約13時間
国花: エーデルワイス


★ヘルベチアあれこれ

ヘルベチアはスイス国内だけでなく、各国の言語の中にその痕跡が見られ、Helvetia(ヘルベチア)という単語がスイスを意味しています。アイルランド語、ギリシア語、ルーマニア語では、Helvetiaに近いスペル表記でスイスを意味しています。

ヘルベチアはスイスを象徴する女性にたとえられています。「スイスの母」とも呼ばれ、長い外衣を着用し、槍とスイス国旗が描かれた盾を持っています。長く編んだ髪と連邦の象徴としてのリースを持っています。

コインに描かれたスイスを象徴する女性「ヘルベチア」

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切手にもヘルベチアの女性像

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では、かって存在したヘルベチア共和国(1798−1803年スイスに存在)について少し書いておきましょう。

・ヘルベチア共和国の国章:ウィリアム・テルを描いている。国名はドイツ語表記です。

ヘルヴェティア共和国の国章

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・ヘルヴェティア共和国の国旗:国章のドイツ語と違い、フランス語表記です。

ヘルヴェティア共和国の国旗

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・ヘルヴェティア共和国の地図: 第二次世界大戦後のスイス連邦の領土よりもわずかに狭い。例えば北西部のジュラ山脈はフランス領となっている。ジュネーブもフランス領であり、1815年のウィーン会議以降にスイスに加わる。首都はルツェルン。

ヘルヴェティア共和国の地図

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・番外情報:

ヘルベチア(英: Helvetia)という名前は、なんとアメリカにも有りました。アメリカ合衆国オレゴン州ワシントン郡にある小さな非法人共同体の名前です。この場所はトゥアラティン渓谷に囲まれ、ポートランドの北西で国道26号線沿いにあります。ここのヘルベチアという名称はオレゴンに移住してきたスイス人の住民によって名付けられました。地域内には教会や墓地のほか、天然物博物館、ヘルベティア・ワイナリーなどのがあります。

合衆国オレゴン州にあるヘルベチア

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★スイスといえば、ウィリアム・テルの物語があります。

話を知っている方も結構多いと思いますが、意外と細かくは知らないようなので、ここでスイスの英雄であるウイリアム・テルの話を入れておきます。

ヴィルヘルム・テル/ウィリアム・テル(ドイツ語:Wilhelm Tell 、フランス語:Guillaume Tell〔ギヨーム・テル〕、イタリア語:Guglielmo Tell〔グリエルモ・テル〕、英語:William Tell)は、14世紀初めころにスイス中央部のウーリに住んだと言われるスイス救国の伝説の英雄です。ロッシーニ(1792年〜1868年)による歌劇 「ウィリアム・テル」もあって、世界中にウイリアム・テルの物語が知られています。

*ウィリアム・テル(William Tell)の物語*

これは約五百年以上も前の時代のスイスの話です。その頃のスイスは、隣の国のオーストリア(ハプスブルグ家)が支配していました。それによりオーストリアの役人や兵士がいばっていました。

ある時、オーストリアからゲスラーという役人がやって来ました。ゲスラーは、とてもいじわるな役人でした。ゲスラーは町の広場の真ん中に長い棒を立てると、その上に一つの帽子をかかげました。そして棒の横の立て札に、「この帽子は、オーストリア皇帝の帽子であるので、帽子の前を通る時は、必ずおじぎをする事とする。おじぎをしないものは、すぐ死刑にする」掲示したのです。そこで町の人たちはやむなく帽子におじぎをしてから広場を通りました。

ある日の事でした。ウィリアム・テルという森に住む猟師が、六つになる息子を連れて広場を通りかかりました。テルはそのうちスイスに自由を取り戻そうと思っていた人ででした。したがって、テルは帽子と立て札を見ても「ここははスイス国だ。オーストリア皇帝の帽子に、おじぎをする必要はない」として、そのまま通り過ぎようとしました。しかし、すぐに見張りの兵士に捕まって、ゲスラーの前に連れて行かれました。

ゲスラーは、テルに尋ねました。
「なぜ、帽子におじぎをしないのだ?」
「わたしは、スイス人ですからです」
「何っ?」
「スイス人がオーストリア皇帝のボウシに、おじぎなどする必要はない!」
テルの答えに、ゲスラーは怒鳴りました。
「きさま! すぐに死刑にしてやる! ・・・いや、待てよ」
ゲスラーはテルのそばにいるテルの息子に気がついて、ニヤリと笑いました。
「死刑は許してやろう。その代わり、そこにいる息子の頭の上にリンゴを乗せて、遠くからそのリンゴを矢で撃ち落とすのだ。いいな」
それは、意地悪なゲスラーらしい思いつきでした。
「さあどうした? 自分の腕に自信がないのか? スイス人は、腰抜けだな。やらないのなら、お前も子どもも死刑にしてやるぞ」
「くそ!・・・わかった!」

テルは、やむなく決心しました。テルは息子を木の下に立たせて、頭の上にリンゴを乗せると、自分は二本の矢を取りました。弓矢を持つテルの手が、緊張のあまり震えています。それを見た息子が、遠くの木の下からテルに叫びました。「お父さん、ぼくは大丈夫だよ。ちっとも怖くないよ。だってぼくのお父さんは、スイス一の弓の名人だもの」

息子の言葉に勇気づけられたテルは、弓に矢をつがえると、狙いを定めて手を矢を放ちました。
ビューン!矢は風を切ると、見事にリンゴの真ん中を撃ち抜きました。回りで息をひそめて見ていたスイス人たちから、「ワアーッ!」と、大歓声があがりました。
「テル、バンザーイ」
「テルは、スイス一の弓の名人だ。バンザーイ」
それを見てゲスラーは、舌打ちをしながらテルに言いました。
「ふん、まぐれとは言え、よくやったな。だが、なぜ矢を二本も取ったのだ?」
するとテルは、ゲスラーを見つめてこう言いました。
「もう一本は、あなた用です。もし一本目を失敗して息子を死なせたら、残りの一本であなたを射殺すつもりでした」
「何だと!」

正直に答えたテルは、怒ったゲスラーら捕まえられました。そして牢屋に入れられることになったのですが、しかし途中でうまく逃げ出して、無事に息子の元へ帰ったのです。やがてスイスはテルたちの働きで独立し、現在あるスイス人たちの国になったのです。

     ***************************

この話は伝説ですが、今でもスイス人はウイリアム・テルを敬愛し、コインや切手の図柄になっています。

ウイリアム・テルのコイン

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スイスに「ウィリアムテル・エクスプレス」があります。スイスが生んだ偉大な英雄ゆかりの地を、湖船と鉄道で結ぶ旅が出来ます。詳しくは下のページをどうぞ。

ウィリアムテル・エクスプレス

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ウィリアムテル・エクスプレスの紹介

http://www.railguide.jp/train/wilhelmtell/

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かってヘルベチアと言われ、今もその名が使われているスイスという国は、小さいながらも懸命に独立し、永世中立を守り通しています。美しい山々や湖だけ見ていると、歴史的にこんなにも困難な時代があったとは思えませんね。「山椒は小粒でもピリリと辛い」の言葉がぴったりの国と思います。皆さんもスイスへ行ったら、ヘルベチアの名前を思い出し、何かで確認してみてください。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
Jackさん、スイスを訪れる前にベルべチア、ウィリアムテルの話を知っていたら、もっと旅行が楽しめたでしょうね、残念です。スイスの公用語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の分布図を見ると、各国の勢力関係が分かる様な感じがして面白いです。ウイリアムテルの話、頭上の林檎を矢で射る部分しか知らなかったです、オーストリアとスイスの勢力争いが背景にあったんですね。彼らがこの話を大事にする理由がやっとわかりました。
Anne
2012/10/22 18:20
Anneさん
各国には公的な名前の他に昔からのその国の呼び名のようなものがあります。アメリカも雅名をコロンビアと言われます。ミャンマーとビルマしかり。

海外旅行に行く人たちには、その国を訪れる前に、ある程度知っていて訪問する人と、あまり調べないで、行ってから初めて知って驚いたほうが楽しみがあるとの人に別れます。どちらがいいかは好き好きです。どちらかというと私は前者の方ですが、しかし必死に調べるわけではありません。旅行はある特定の時期に、たまたま行く場所の印象であり、行っているからといってその国を良く知っているわけではありません。

Anneさんもどちらが楽しいか、実験してみたらいかがですか?
Jack
2012/10/23 16:18

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